2025年3月、アジアクリスチャン交友会は、若手日本人牧師をサポートするため、台湾高雄の教会訪問クリスチャン交友ツアーを開催しました。ツアーの目的は交流や学びの機会をとおして様々な信仰的な視点を得ることです。合計14名がツアーに参加しました。以下にツアー参加者のレポートをご紹介します。
山田 成也 牧師 箕面福音教会
今回、台湾のリバイバルの現場、各教会のリバイバルの流れ、取り組んだ働きを見聞きさせていただき心より感謝しています。
私は日本の牧師家庭で生まれ育ち、社会人となり、神学校へ行き、牧会の働きをしていきました。これまで教派関係なくさまざまな教会に行ったり、学んだり、伝道旅行や超教派の働きにも携わっていきました。しかし、日本の福音宣教において突破口となるものをなかなか見出すことができませんでした。そのような中で、台湾のリバイバルの現状を見させていただくツアーに参加させていただいたことは私にとって大きな学びと気付きになりました。
台湾に行き、初めに感じたことは台湾のリバイバルの圧倒的現実感と圧倒的スケール感でした。私たち日本人の思う、望む「日本のリバイバル」はどこか絵空事と言いますか、願うだけであって、あまりにも思いと実際の行動が伴っていなかったことに気付かされました(うすうすわかってはいましたが)。もちろん行動を起こしていますが、自分たちが思ってる以上に発想のスケールが小さく、消極的な働きにしかなっていなかったことを痛感しました。
しかしそれと同時に、これは日本人と台湾人の宗教への理解の違いがあるのではないかということもわかりました。台湾人の宗教への理解がどれほどのものかはわかりませんが、少なくとも訪問させていただいた教会の働き、リバイバルについて聞かせていただいた内容を日本に持って帰って、同じことをしても実を結ばないどころか、宣教のスタート地点にも立てないだろうと感じました。それは、日本人クリスチャンが消極的だとか、台湾で行われていることが日本の文化に合わないだとかそういう次元の問題ではなく、根本的に日本人の中にあるいわゆる“宗教”に対する嫌悪感、それに伴い霊的閉塞感があまりにも強いからです。
日本の“宗教“嫌いについては以前からわかっていましたが、台湾に行って、それがより明確にわかりました。日本の“宗教“嫌いの原因は主に新興宗教の社会問題が大いに関わっているのではないかと思っています。私が知る限り、少なくともここ数十年の中で創価学会の違法的な勧誘による被害、オウム真理教による無差別テロ事件、旧統一教会による違法な献金問題、他にもいくつかありますが、そのようなことが日本ではたびたび起こり、社会問題として多く取り扱われてきました。神道・仏教は別として、多くの日本人にとって“宗教”=「危険」「社会悪」「不要なモノ」といった風潮が根強く植え付けられています。また、日本人は異質なものを排除する、受け入れないといった傾向があるため、より一層宣教が難しいのが現状です。
とはいえ、それが日本にリバイバルが起こらないと言い訳しても変わらないし、意味がないことも重々承知しています。そのような日本でリバイバルが起こるための前段としてすべきことは何かと考えたときに、やはり教会の社会的信用回復、社会貢献、ここから始まるのではないのかと考えました。もちろん、教会が社会問題を起こしてきたわけではありませんが、クリスチャンでない方々からしたら「教会」「キリスト教」=“宗教の一つ”でしかありません。そのような認識をされてる以上、教会は社会的信用を得て、教会=「信頼のおける」「安全」「頼れる」といった認識を勝ち取っていくことが始まりなのではないかと感じました。福音とは霊的なものであり、その表れは実際的なものです。霊的にも社会的にも地に足のついた働きこそが宣教のスタートするのではないでしょうか。
そのためには社会奉仕を教会の末端のミニストリーではなく、教会の重要な働きの一つという認識、規模でやる必要があると考えます。これが日本の教会に足りなかった働きのスケール感であり、ここから始めることが台湾で感じた宣教、リバイバルの現実感ではないだろうかを受け取りました。
私が台湾で学んだことは具体的なミニストリー、ハウトゥ以上に、霊的感性、日本宣教に必要な勘所でした。この感性、受け取りが正しいかどうかわわかりませんが、間違いなく私の日本宣教への期待感と情熱、ワクワク感は高まりました。今回受け取ったことを糧に、日本宣教のために仕えていきます。